2016年 01月 19日
2015.12.4 ドイツ クリスマスマーケット 18 ~ノイシュバンシュタイン城 その1 ~
キレイな朝焼けが物語っているように、この日はよく冷えこんで一面霜が降りていました。
バスに乗るといつもの添乗員さんの忘れ物チェックのアナウンスとこの朝は、
「みなさん旅も終盤になってきました。お土産なんかもお買い上げいただいていることともいますが、見つけた時にコレいいと思ったものはその場で買っておくといいですよ。みなさんの旅は周遊ですので、他の場所で同じものが見つからない場合もあります。また、お土産は余分に買っておくといいですよ。帰国してから思い出すお顔というものが必ずあります。お菓子類なら余ってもご自分で召し上がれますので、お土産は少し余分目に買っておくことをお勧めします。
全くその通りです。
今回のドイツ旅行、この日まで頼まれたお土産は買ったものの、自分たちのお土産はまだ何も買っていませんでした。
空はこの通り晴れ渡っています。
今回の旅行はハイデルベルグでくもり空だっただけで、今のところ雨には降られていません。
よっぽど強力な晴れ男、晴れ女がいるんでしょうね。
ありがたいことです。
ローテンブルクからノイシュバンシュタイン城があるホーエンシュヴァンガウという街まで、約4時間かかります。
途中のSAでトイレ休憩をしたときに、やっぱりここでもチケットが出てくるのですが、もう明日は高速を使うことがないので、この売店でチケットを使うことにしました。
お水はたくさんあったので、スナック菓子を購入。
これが、激ウマ。
もっと買えばよかった~と、後悔することしきり。
でも、そんなに大きくないのに、2ユーロとかするんですよ。
で、ホーエンシュヴァンガウについて、遠目にもノイシュバンシュタイン城が見えてきました。
山の近くにきたせいか、朝はあんなに晴れていたのに、雲も出てきました。
お城に入るのには、入場時間が決められているので、まずはランチです。
ランチは、お城のふもとのレストラン・カインツ。
まずはスープ。
一見おいしそうですが、塩がきついというのは、同じテーブル全員が一致。
ドイツの料理は全体的に塩味がきついような気がします。
メインのコールルーラーデ(ドイツ風ロールキャベツ)。
キャベツが固かった。
中のお肉はハイデルベルグで食べたマウルタッシェン(ドイツ風ラビオリ)と、同じ。
外がキャベツかパスタの違いでした。
デザート。
見事なほど甘くない。
外国に来て甘くないケーキを食べた記憶があまりない・・・
レストランの外観。
このレストランのテラス席からは、お城を眺めながら食事ができますが、大型バスがすぐ近くまで来るので、排ガスも一緒に食べることになります。
今の季節はちょっと寒いけど。
こんな感じでお城が見えます。
このあと、再集合場所になるお土産屋さんまで徒歩移動。
お土産屋さんの正面には、ホーエンシュヴァンガウ城がきれいに見えました。
これから行くノイシュバンシュタイン城は、バイエルン王ルードヴィッヒ2世の中世趣味を具現化した居城で、1869年建設を開始し、建築途中で王の座を追われたために2年しか住むことができず、完成を見ることもありませんでした。座るべき王がいなくなってしまったので、玉座の間に玉座はありませんでした。
ワーグナーを愛し、悲劇の王と言われたルードヴィッヒ2世の生涯は、
1845年8月25日、ミュンヘン郊外にあるヴィステルバッハ家の夏の離宮であるニンフェンベルグ城で生まれた。3歳の時に祖父の死により父マクシミリアン2世が即位。
1855年ごろ、バイエルン王として多忙の父に構ってもらえず、弟オットーとホーエンシュヴァンガウ城で子供時代を過ごした。中世の騎士伝説や神話を好んでいた。16歳でワーグナーのオペラ「ローエングリン(白鳥の騎士)」を鑑賞し、心酔する。
1864年3月10日、19歳の時に父マクシミリアン2世の死去に伴いバイエルン王に即位。陶酔していたワーグナーを宮廷に呼び支援する。芸術・文化事業に力を入れヨーロッパから称賛を浴びる。
1867年、22歳の時にオーストリア皇后エリザベートの妹と婚約するも破棄。王家や政治に興味を失い、耽美的な中世という夢の実現を追うべく城の建築に没頭する。
1869年、24歳の時に少年の頃に憧れた騎士伝説やワーグナーの世界観を表現する理想の城(ノイシュバンシュタイン城)の建築を開始する。巧妙な建築家を使わず舞台美術家を登用するなど、細部へのこだわりが発揮されたが、未完成に終わった。
1878年 33歳の時にヴェルサイユ宮殿内の大トリアノン宮殿に傾倒し、リンダーホーフ城建築。ルイ14世やマリーアントワネット像に話しかけるような夢想的な生活を好む。
同じころヘレンキームゼー城の建築に着手。鏡の間にルイ14世の肖像を25も配置するなど傾倒はますます進むが、王の死去により未完成になった。
1886年、40歳の時に居住部分が出来上がったことから、ノイシュバンシュタイン城に居を移す。プロイセン戦争での賠償を抱え、城の建築は破たん。周囲から「狂王」といわれる。6月には形だけの精神鑑定でベルグ城に軟禁される。
1886年6月12日、拘束からわずか数日後、侍医とともにシュタルンベルグ湖で水死体となって発見される。
その後ルードヴィッヒ2世の棺はミュンヘン市内のミヒャエル教会に安置されている。
と、40歳という若さでこの世を去りました。
暗殺の匂いがそこはかとなく漂ってくる気がしまうが。
山のふもとからお城に行く方法は、1、徒歩で40分山道を登る、2、3ユーロ(だったかな)を払ってシャトルバス(約5分)で登る、3、馬車(値段は不明)で登るの3種類です。
私たちはシャトルバスで登りました。
バスは並んだ順に乗りますので、バス停で並んで待ちます。
料金は乗るときに運転手さんに払います。
上りのほうが下りより料金が高かったような覚えがあります。
けっこうギュウギュウ詰めで、けっこうな急カーブを登っていきます。
バス停から徒歩でお城まで行きます。
途中通行止めの柵がありました。
マリエン橋という、ノイシュバンシュタイン城といえばの写真が撮れる場所ですが、冬季は通行止めと、道を直すためにしばらく通行止めになってるらしいです。
つづく
バスに乗るといつもの添乗員さんの忘れ物チェックのアナウンスとこの朝は、
「みなさん旅も終盤になってきました。お土産なんかもお買い上げいただいていることともいますが、見つけた時にコレいいと思ったものはその場で買っておくといいですよ。みなさんの旅は周遊ですので、他の場所で同じものが見つからない場合もあります。また、お土産は余分に買っておくといいですよ。帰国してから思い出すお顔というものが必ずあります。お菓子類なら余ってもご自分で召し上がれますので、お土産は少し余分目に買っておくことをお勧めします。
全くその通りです。
今回のドイツ旅行、この日まで頼まれたお土産は買ったものの、自分たちのお土産はまだ何も買っていませんでした。
空はこの通り晴れ渡っています。
今回の旅行はハイデルベルグでくもり空だっただけで、今のところ雨には降られていません。
よっぽど強力な晴れ男、晴れ女がいるんでしょうね。
ありがたいことです。
ローテンブルクからノイシュバンシュタイン城があるホーエンシュヴァンガウという街まで、約4時間かかります。
途中のSAでトイレ休憩をしたときに、やっぱりここでもチケットが出てくるのですが、もう明日は高速を使うことがないので、この売店でチケットを使うことにしました。
お水はたくさんあったので、スナック菓子を購入。
これが、激ウマ。
もっと買えばよかった~と、後悔することしきり。
でも、そんなに大きくないのに、2ユーロとかするんですよ。
で、ホーエンシュヴァンガウについて、遠目にもノイシュバンシュタイン城が見えてきました。
山の近くにきたせいか、朝はあんなに晴れていたのに、雲も出てきました。
お城に入るのには、入場時間が決められているので、まずはランチです。
ランチは、お城のふもとのレストラン・カインツ。
まずはスープ。
一見おいしそうですが、塩がきついというのは、同じテーブル全員が一致。
ドイツの料理は全体的に塩味がきついような気がします。
メインのコールルーラーデ(ドイツ風ロールキャベツ)。
キャベツが固かった。
中のお肉はハイデルベルグで食べたマウルタッシェン(ドイツ風ラビオリ)と、同じ。
外がキャベツかパスタの違いでした。
デザート。
見事なほど甘くない。
外国に来て甘くないケーキを食べた記憶があまりない・・・
レストランの外観。
このレストランのテラス席からは、お城を眺めながら食事ができますが、大型バスがすぐ近くまで来るので、排ガスも一緒に食べることになります。
今の季節はちょっと寒いけど。
こんな感じでお城が見えます。
このあと、再集合場所になるお土産屋さんまで徒歩移動。
お土産屋さんの正面には、ホーエンシュヴァンガウ城がきれいに見えました。
これから行くノイシュバンシュタイン城は、バイエルン王ルードヴィッヒ2世の中世趣味を具現化した居城で、1869年建設を開始し、建築途中で王の座を追われたために2年しか住むことができず、完成を見ることもありませんでした。座るべき王がいなくなってしまったので、玉座の間に玉座はありませんでした。
ワーグナーを愛し、悲劇の王と言われたルードヴィッヒ2世の生涯は、
1845年8月25日、ミュンヘン郊外にあるヴィステルバッハ家の夏の離宮であるニンフェンベルグ城で生まれた。3歳の時に祖父の死により父マクシミリアン2世が即位。
1855年ごろ、バイエルン王として多忙の父に構ってもらえず、弟オットーとホーエンシュヴァンガウ城で子供時代を過ごした。中世の騎士伝説や神話を好んでいた。16歳でワーグナーのオペラ「ローエングリン(白鳥の騎士)」を鑑賞し、心酔する。
1864年3月10日、19歳の時に父マクシミリアン2世の死去に伴いバイエルン王に即位。陶酔していたワーグナーを宮廷に呼び支援する。芸術・文化事業に力を入れヨーロッパから称賛を浴びる。
1867年、22歳の時にオーストリア皇后エリザベートの妹と婚約するも破棄。王家や政治に興味を失い、耽美的な中世という夢の実現を追うべく城の建築に没頭する。
1869年、24歳の時に少年の頃に憧れた騎士伝説やワーグナーの世界観を表現する理想の城(ノイシュバンシュタイン城)の建築を開始する。巧妙な建築家を使わず舞台美術家を登用するなど、細部へのこだわりが発揮されたが、未完成に終わった。
1878年 33歳の時にヴェルサイユ宮殿内の大トリアノン宮殿に傾倒し、リンダーホーフ城建築。ルイ14世やマリーアントワネット像に話しかけるような夢想的な生活を好む。
同じころヘレンキームゼー城の建築に着手。鏡の間にルイ14世の肖像を25も配置するなど傾倒はますます進むが、王の死去により未完成になった。
1886年、40歳の時に居住部分が出来上がったことから、ノイシュバンシュタイン城に居を移す。プロイセン戦争での賠償を抱え、城の建築は破たん。周囲から「狂王」といわれる。6月には形だけの精神鑑定でベルグ城に軟禁される。
1886年6月12日、拘束からわずか数日後、侍医とともにシュタルンベルグ湖で水死体となって発見される。
その後ルードヴィッヒ2世の棺はミュンヘン市内のミヒャエル教会に安置されている。
と、40歳という若さでこの世を去りました。
暗殺の匂いがそこはかとなく漂ってくる気がしまうが。
山のふもとからお城に行く方法は、1、徒歩で40分山道を登る、2、3ユーロ(だったかな)を払ってシャトルバス(約5分)で登る、3、馬車(値段は不明)で登るの3種類です。
私たちはシャトルバスで登りました。
バスは並んだ順に乗りますので、バス停で並んで待ちます。
料金は乗るときに運転手さんに払います。
上りのほうが下りより料金が高かったような覚えがあります。
けっこうギュウギュウ詰めで、けっこうな急カーブを登っていきます。
バス停から徒歩でお城まで行きます。
途中通行止めの柵がありました。
マリエン橋という、ノイシュバンシュタイン城といえばの写真が撮れる場所ですが、冬季は通行止めと、道を直すためにしばらく通行止めになってるらしいです。
つづく
by ashu_namy
| 2016-01-19 12:00
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