2015年 01月 07日
2014.12.28 神戸北野異人館 3 (萌黄の館)
萌黄の館は、風見鶏の館のすぐそばにあります。
ここは入り口で靴を脱ぎます。
大きなクスノキに囲まれた「萌黄の館」は、明治36年(1903年)にアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築されました。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドゥ(張り出し窓)をはじめ、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど贅沢な意匠が随所に見られます。
その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となりました。昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定され長らく「白い異人館」と呼ばれていましたが、昭和62年(1987年)からの修理で、建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されてこの名がつけられました。
(パンフレットより)
外観
可愛いお人形がお出迎え
ポインセチアとルミナリエブックマークセット。
重厚な雰囲気のマントルピース
お化粧室
この奥にお風呂があります。
チェスボードがある素敵なお部屋は
実は寝室です。
広い子供部屋。
各部屋で壁紙の色が違うんですね。
部屋ごとに違うマントルピース。
タイルが見事です。
食堂
ユリとピアノ
食堂に置かれたピアノは、20世紀半ばまでフランスを代表するピアノ製造会社だった「エラール」製で、現代では大変希少なものだそうです。
このエラールさん、歴史をさかのぼればフランス革命の頃までいきます。
詳しくは、グーグル先生に聞いてみてください。
食堂のマントルピースもデザインが違います。
それでは外にまわってみましょう。
西側から
屋根の上に館のシンボルの煙突が見えます。
ちょっと新し目にみえますが、オリジナルはこちら。
平成7年(1995年)の、阪神・淡路大震災のときに落下して、地面に突き刺さりました。
屋根の煙突はその後1年かけて修復されましたが、この落下した煙突は当時のまま残されています。
木の根元の石に金魚が書いてありました。
池に見立ててあるんでしょうね。
それでは、お腹が空いてきたのでランチに行きます。
つづく
ここは入り口で靴を脱ぎます。
大きなクスノキに囲まれた「萌黄の館」は、明治36年(1903年)にアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築されました。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドゥ(張り出し窓)をはじめ、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど贅沢な意匠が随所に見られます。
その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となりました。昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定され長らく「白い異人館」と呼ばれていましたが、昭和62年(1987年)からの修理で、建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されてこの名がつけられました。
(パンフレットより)
外観
可愛いお人形がお出迎え
ポインセチアとルミナリエブックマークセット。
重厚な雰囲気のマントルピース
お化粧室
この奥にお風呂があります。
チェスボードがある素敵なお部屋は
実は寝室です。
広い子供部屋。
各部屋で壁紙の色が違うんですね。
部屋ごとに違うマントルピース。
タイルが見事です。
食堂
ユリとピアノ
食堂に置かれたピアノは、20世紀半ばまでフランスを代表するピアノ製造会社だった「エラール」製で、現代では大変希少なものだそうです。
このエラールさん、歴史をさかのぼればフランス革命の頃までいきます。
詳しくは、グーグル先生に聞いてみてください。
食堂のマントルピースもデザインが違います。
それでは外にまわってみましょう。
西側から
屋根の上に館のシンボルの煙突が見えます。
ちょっと新し目にみえますが、オリジナルはこちら。
平成7年(1995年)の、阪神・淡路大震災のときに落下して、地面に突き刺さりました。
屋根の煙突はその後1年かけて修復されましたが、この落下した煙突は当時のまま残されています。
木の根元の石に金魚が書いてありました。
池に見立ててあるんでしょうね。
それでは、お腹が空いてきたのでランチに行きます。
つづく
by ashu_namy
| 2015-01-07 12:00
| 2014.12 神戸